ないない話を徒然なるままに

いつか本当になっちゃうからね

走馬灯に入れる記憶を選べるとしたら、何を入れるか?

 「死の間際の『走馬灯』、実在の可能性 脳波が示唆=カナダ研究」――BBCニュースが公開した記事がわたしの妄想癖を刺激した。

 

 「カナダのある研究チームは2016年、87歳のてんかん患者の男性の脳波測定を試みた。ところが測定中、患者が心臓発作に見舞われ死亡。予期せず、人が死ぬときの脳の状態が記録された。その記録には、死の前後の30秒間に、男性の脳波に夢を見ている時や、記憶を呼び起こしている時と同じパターンの動きが確認されたという」(BBCニュース 22.02.24)

 

走馬灯って花火っぽいイメージ

 そういえば以前、友人が車の事故に遭った時に走馬灯を見たと言っていたな。その時は直近に起きた記憶がフラッシュバックしたとのことだった。人生最後の映像、せっかくならハイライトを詰め込みたい。しょうもない記憶に容量を割くのはごめんだ。

 

 わたしはあと60年くらい生きる予定なので、それまでに医療が発達して「自作の走馬灯を流す手術」が実現しているかもしれない。今から走馬灯に入れる記憶を選んでおくことにしよう。走馬灯手術の被験者1号になるぞ!

 

 と言ったものの、そもそも走馬灯って何秒ぐらい見れるのだろうか。人生の徳によって「あなたは3分」「あなたは5秒」と決められてしまうとしたら切ないが、とりあえず30秒と仮定してルールを考えてみようと思う(走馬灯の秒数でマウントをとる未来も近い……)。

 

【走馬灯を作ろう! 基本ルール】

  • 全体で30秒
  • 1つの記憶の所要時間は5秒(つまり6つ入れられる)
  • うそはダメ。事実に基づいた記憶のみ

 

 少々ルールがゆるすぎるような気もするが、自分の好きな記憶を入れるのだから自由度は高いほうがいい。次はどの記憶を入れるか考えていく。

 

 まずは幼少期の記憶からあさっていこう。保育園のときに両想いだった「しゅんぺい君」の記憶とか手ごろでよさそうだ。お昼寝タイムに布団を隣同士にして「ねえねえ、好き?」「好き!」とか言い合っていた。完全にませているが、かわいいので入れる。

 

 次の記憶は小学生。トイレの便器の中に髪留めを落としてしまった筆者、まだ用を足す前だったので一応きれいなはずなのだが、どうしても便器に手を突っ込めずにいた。なぜか友人を召喚し、代わりに取ってもらった記憶がある。……冷静に考えて最低すぎる。時効だとは思うものの、申し訳ないので貴重な5秒を使っておく。

 

 やばい、コラムの字数制限が迫ってきている。あと4つも記憶を選ばなくてはいけない。中学時代の記憶はオーストラリア留学から選出しよう。友人とスーパーで買い物中、近所のお兄ちゃん(イケメン)が「Hey, girls!」と言いながら背中にポンっと触れ、一瞬で恋に落ちた。

 

 高校は思い出がありすぎて困るが、校門での持ち物検査を回避するために校舎裏のフェンスに穴を開けて登下校していた記憶がTHE・青春って感じで楽しそうだ。友人や一部の後輩も使うようになり、最終的に信じられないくらい穴が大きくなっていた。

 

 大学時代には友人の失恋に便乗し、「失恋の傷を癒すためにホストクラブに行かせてください」というタイトルでクラウドファンディングを実施。2万円ほど集めて、新宿・歌舞伎町のホストクラブに嬉々として出向いたが、あまり楽しくなかった。いい経験ではあったと思うから入れておく。

 

 最後に直近の記憶から一つ。執筆した記事がヤフトピに選ばれ、Twitterで好意的なコメントとともにシェアされているのをにやにやしながら眺めている自分を入れておこう。

 

 筆者は齢25のため人生のビッグイベントがまだそこまで多くない。日常に即した出来事ばかりだ。小学生の記憶はもはや懺悔であり、他のものも比較的しょうもない。しかし、あらためて考えると、こうしたしょうもない日々が自分の幸せを形作っているのだと気づかされる。未着手原稿の山を横目にこのコラムを執筆しているわけだが、そんな時間も愛おしい。まだまだ入れたい記憶がたくさんある。走馬灯の時間を1時間にしてもらえるよう、今日から徳を積むことにする。